チーム紹介
〇チーム名
FC豊橋 little J serecao (リトルJセレソン)
〇創立
1998年
〇エンブレム
〇「楽しく、上手く、強く」
楽しくなければスポーツではない。押し付けられたり、義務感でいやいややったりするのは、もはやスポーツではない。
楽しいだけでは進歩がない。どうせやるなら上手くなりたい、ならせたい。個々の技術を磨いて1対1で突破した時の爽快感、止めた時の充実感を体得したい。
強くなければ面白くない。試合をやる限りは勝利を目指すのはあたりまえ。負けてばかりではモチベーションも下がる。「内容は良かったのにね」は言い訳に過ぎない。良いサッカーをして良い結果を求めたい。
〇具体的指導方針
幼稚園・保育園~2年生(楽しく)
まず、サッカーに親しむことを中心に、練習に来ることが楽しくてたまらないという環境の設定を大目標とします。多くの子供たちがサッカーに親しんでもらえたら良いと思っています。学年の枠をはずしてグループ分けすることもあります。
3・4年生(上手く)
ドリブル・ファーストタッチ・キック・パスなど技術的に一番やることが多い年代です。この時期にどれだけの技術を身につけられるかによって5・6年になって差が生じてきます。オンのプレーが中心になりますが、次の段階をふまえて見ることや考えることなども同時にトレーニングをしていきます。
5・6年生(強く)
3・4年で習得した基本技術をベースにテクニックからスキルへと向上させていきます。「見て・考えて・判断して・実行する」ことやオフの動きなどが求められてきます。自分自身にうち勝つ強さも必要となってきます。
個人からチームとして、パワーに頼ることなく、パスサッカーで相手を翻弄し、チャンスがあれば個で仕掛けていくトータルサッカーを目指し、良いサッカーをし続けることによって勝利を目指します。この頃より試合も多くなってきます。
「楽しく、上手く、強く」の「上手く、強く」の中での「楽しさ」が理解できる時期になってくると思います。
〇歴史
1993年
JC主催チャイルドサッカー大会に、現FC豊橋リトルJセレソン・スーパーバイザー福井英輔氏(ヤマハフットボールクラブOB・現在のジュビロ磐田)がジュビロの田浦氏と折衝しジュビロの名前とエンブレム使用の許可を受け、JC関係者の子供を中心にリトルジュビロ豊橋を結成し出場する。
1994年
蝉川文化教育センター(才能教育幼稚園付設)でチャイルドサッカー教室始まる。
リトルジュビロ豊橋の名前とユニフォームを引き継ぎ、第2回JCチャイルドサッカー大会に参加。元グランパスのゴールキーパー伊藤氏の子息の所属するチビッコグランパスとリトルジュビロ豊橋とのPK合戦のイベントで会場を盛り上げる。
アクア主催の第3回チビッコサッカージャンボリー(幼児・1年・2年)に出場。
1996年
12月、第5回チビッコサッカージャンボリー東海地区決勝大会1年生の部・2年生の部出場。
1997年
12月、第6回チビッコサッカージャンボリー東海地区決勝大会で2年生の部で参加4年目にして初優勝を飾る。
1998年
4月、指導者(斉藤)の転職に伴いチャイルドサッカー教室終了し、新たにサッカークラブ「リトル・J・豊橋」が誕生。
12月、第7回チビッコサッカージャンボリー東海地区決勝大会の2年生の部で2連覇を達成。
1999年
リトルJ招待アゼリアカップ開催開始。
2000年
4月、豊橋スポ-ツ少年団及び県協会(日本サッカー協会)に加盟。
8月、御殿場高原サッカー大会の5年生の部で優勝。
12月、NHK杯準優勝。(5年)
第9回チビッコサッカージャンボリー東海地区決勝大会2年の部出場。
2001年
1月、県新人戦ベスト32。(5年)
2月、O氏杯優勝(6年)
4月、セレソン豊と合併し、「リトル・J・セレソン豊橋」となる。
同時にジュニアユースチーム「FC豊橋デューミラン」を立ち上げる。
2005年
4月、チーム名称をジュニアユースチーム「FC豊橋デューミラン」との関係を明確にするため「FC豊橋リトルJセレソン」と改名。現在に至る。
2007年
3月 県チャンピオンズカップで惜しくも準優勝。念願の県制覇ならず。
2010年
4月 高須英暢君が豊橋初のJリーガー(川崎フロンターレ)となる。
2011年
9月 ダノンネーションズカップ全国大会出場。
2013年
4月 三浦弦太 君 清水エスパルス入団。
白井康介 君 湘南ベルマーレ入団。
2017年
5月 三浦弦太 君 日本代表選手となる。
2019年
4月 齋藤雅哉 代表退任、顧問となる。
鈴木康仁 代表就任。
2022年
4月 深谷圭佑 君 サガン鳥栖入団。
※2019年より戦歴は「大会実績」に記載。